No.41 「伝えたいこと」
 僕はレッスンのはじめのころに「いずれ師弟は別れなくてはならない運命だから、そのとき自分で学習できるようになろうね」ということを伝えることにしている。
 のっけから「別れ話」みたいになってしまって、とまどう人もある(とくに以前習っていた経験のあるひとはそういう傾向が強いようだ)。その真意はレッスンで目先のなにか(もちろんすべて大事なことなんだけれど)を学んでいる時も、機会あるたびにちょっと一歩ひいて、どうやって自学自習を続けて行くことができるか、その方法をレッスンをつうじて探りながらやってもらいたいということなのだ。
 レッスンで話している、けっこう余計なことのように思える話(例えば栄養とか薬品のこと、解剖学的な知識、美術一般 、もちろんギター以外の音楽の話etc. 書き出すときりがないな/こういう話が多すぎるという批判も生徒のうちにはあるけれど・・・)は自学自習のバックボーンとしてどうしても必要なものと確信して話しているのだ。
 その真意が伝わっていないと、いくら曲が替わっても、相変わらず同じ内容をまた最初から話すことになってしまう。
 僕にとってレッスンの成功とは、習いに来ている人が独立してくれること。独立というのは「自分で問題をみつけて、自分で解決できる能力」を持ってくれるということ。
 そのスタンスがなによりも大事なのだ。それを確実に伝えることができれば、その人の音楽の研究はどんどん進んで行くだろうし、レッスンも一方的に話が流れるような依存の場ではなく、活気ある共同研究の場のようになっていく。  そしてたとえ何かの理由でレッスンが続けられなくなっても進歩することが可能なのだ。


No.42 「質より量」
 作家をはじめ文筆で生活をしている人の話を聞いたり読んだりすると、その量に毎度のことながら驚く。読む量 がちがうのである。1日1冊以上 というのはあたりまえ。なかには 1か月100冊 を軽く突破というひともいたりする。インプットの量 が違う。つまり読まない人は書けないということだ。もちろんその時間以外に日常生活あり、仕事なんだから執筆もしてるわけだろうから、やはり頭の中はどうなってるんだ、と感心してしまう。
 音楽ではどうだろう。僕は音楽も同様に多量の鑑賞(インプット)があってはじめて演奏(をふくむ音楽活動/アウトプット)というアクションができるような気がしている。聴くことではじめて音楽のさまざまな文法(グラマー)と表現の種類にじかに触れることができるし、聴かれたものは記憶の奥にしまわれ、無意識のなかでそれまでの全体験とともに再構成されて次の判断の基準となる。
 だから、たとえ聴いたもののディテールが記憶にのこっていなくても、判断の土台固めにはなっているのだ。聞き初めのころというのはえらくスピードがあるとか、大きな音がでるとか、たんにアドレナリンの吹き出す仕掛けのあるものにびっくりして簡単に「すごい」となってしまう(それはそれでいい)のだが、聴く量 が増えてくるにしたがってその聴き方は自然に変わっていくものだ。いつまでも「大きい」「はやい」のみが「芸術的」という人はまずいないだろう。  よいわるいはさておいて、大量に聴くことで審美感覚はみがかれるのだ。「いいか悪いかわからない」というのは聴いていないということにほとんど等しい。
 質屋の2代目を育てるのにいちばんいい方法は「本物だけを見せる」ということを聞いたことがある。たぶんこれはベストの教育法方だろうが、私達すべてが芸術家の2代目ではないのでなかなか難しい。せめて清濁合わせ飲んで自分の耳を鍛えよう。


No.43 「筋肉の記憶」
 10年ほど忘れていたレパートリを弾いてみてあらためて気づいたことがある。弾いていくと、それを練習していたころの体の使い方がでてくるのだ。その曲の記憶が、身のこなし(筋肉の使い方)も含めての記憶ということなのである。
 その身体の使い方だと今では窮屈をかんじるので、新しく工夫していったなるべく筋肉の仕事をすくなくする身体の使い方(詳しくは拙著「ギターのためのシンプルメソード」を参照ください)でその曲をやってみると、面 白いことに曲の記憶が繋がらない場所がでてくるのだ。明らかに今のほうが身体のながれは合理的だし、楽なのに、古い曲の記憶には身体を緊張させているという情報も一緒にまとわりついているので、そこを切り取ってしまうと、こんどは曲自体の記憶もあやしくなってしまうということなのだろう。
ここからあたらしい方法での演奏(練習)に変えていくのは根気のいる地道な作業で、注意の持続がとても肝要だ。わかってはいるのだけれど、簡単ではない。ぼんやり弾いていたりすると、昔の癖が必ず顔をだして、逆戻りしてしまう。単純(無思考)な練習の繰り返しではできない。
 この楽ではない作業がなんとかできるのは、これがけっこう「楽しい」からだろう。なんども失敗しながら、動きの質に注意して一音一音納得しながら続けていくと、そのとき運動に対するセンスは筋肉がほどければほどけるほど、確実にアップするということが実感できる。これがとても楽しい。これがあるからこの面 倒な作業をいとわずできるのだ。「楽しい」はいつ もエネルギーのもとになる。
 筋肉の記憶の部分が一新された時に音楽がどう変化するのか、今の自分には想像もつかない。よい方向に向かうのかそうでもないのか? とても楽しみなのである。いずれにしても未知の世界なのだから。


No.44 「仏 師 の 心」
 
1年ぶりに奈良に寄った。年に1度ぐらいのリズムで行っては気ままにぶらつくのが好きだ。日に寺を一つか二つまわって過ごす。土地自体が持っている「気」みたいなものがいい感じがする。ここを都に決めた人の霊感みたいなものに行くたびに感心してしまう。
 なんど行っても興味深いのが興福寺の国宝館。目的は阿修羅像(あしゅら)と阿形吽形2体の金剛力士立像。この3体と対峙すると「しっかりやっているのか!」という声が聞こえてくる。
 これらの彫刻に共通するのはエフェクトの否定である。たしかに極端なほどのデフォルマシオンがなされていて、それはかえって強いリアリティを生み、観るものに印象を残す。しかしそれは意図されていないのだ。ひたすら木を彫っているのだ。この像を人が観たときどういう印象を持つかということは彫った人の眼中にはないだろう。そこには癒しとか慰めもない。あえて言えば像の存在だけが目的である。その集中力はみごとだ。  これらの像を見る度にこのレベルで音楽がしたいなあ、と思う。この強さに惹かれるのだ。音楽の存在だけが感じられる演奏をしたい。またそれができる生活をしたいと思う。
 今回、初めて像を観ながら、これらを造った人々の生活に思いをはせた。みそぎもしたろうな、食も限っただろうなあとか、想像はたのしい。鎌倉、奈良時代というのは日本の彫刻が世界レベルで最高になった時期である。造った人たちは今のように情報や環境でスポイルされることなく、しかもその高いレベルをさらに研ぐ術も心得ていたように思う。それが仏師の常識であったのだろう。そうでなければ他にもある多数の傑作が生まれる理由が見つからないのだ。  宿に直行してギターを弾いてみる。いい刺激の後はいつも無性に弾いてみたくなるものだ。さて仏師の心意気でひくギターの音は・・・・・


No.45 「石の上にも3年半」
 
40代も終わろうとする時、タッチを変えた。いままでやってきた奏法にどうしても(とくに体力的な面 で)納得がいかなくなってきて、いろいろ模索しているうちにタッチの変更に思い至った。
 今までやっていたのは、全面的に筋力にたよったものであって、疲労度もおおきく、音質の安定という面 でも不満があった。
 バイオリン、チェロなどの教本、あるいはスポーツ選手、武道家のパフォーマンスや意見などを参考にして考えたのは、重力で腕または手首から先を落して音にしようというなるべく体力を消耗しないシステムだった。(参:シンプル・メソードー1)
 コントロールする動きの大部分を重力に頼ればいい(動きの方向は地球の中心しかない)というシンプルさは、練習に迷いを少なくさせてくれたし、筋肉に頼らないということはもちろん体力的な問題を軽減してくれ、同時に「演奏自体が気楽になってきた」という思ってもみなかった大副産物があった。
 しかし、まだこのやり方が完全に身に付いているわけでもない(まだまだ磨ける)し、タッチを変更したからといって、すべての問題が解決できたというわけではない。非常にスピードのあるパッセージはこのシステムでは追いつかなくて、まだ筋力に頼らざるをえないし、高音の艶などにはまだやれることがありそうな気はしている。
でも今は問題があってもいい、と考えているのだ。考えをスタートして、身体がそこそこイメージどおり動くところまで来るのに3年半がかかった。この後また3年でも5年でもかけるのだ。研究はどこまでやってもきりがなく、その結果 もっといいシステムが見つかるかもしれない。その時はまた潔く今までのものを捨てる。 自分を変えることにやぶさかで(過去につかまりさえし)なければ、これからもどんどん面 白いことに出会える気がしている。


No.46 「音質の変容」
 
「時代の影響を受けない芸術はない」と言われる。音楽のマチエル(素材)であるギターの音も例外でない。ソル、ジュリアーニの時代、彼らの音楽に応えるために、シックでエレガントなラコートやパノルモなどの銘器があった。タレガの時代になって、トーレスが低音弦のハイポジションの可能性をひろげた。この時ギターの「うたい心地」は格段に変わった。そしてセゴビアがギターをサロンからコンサートホールへ持ち出すという一大変化がおこり、それにこたえて、ラミレスをはじめ多くのギター職人たちが音量 的にさらに充実したものを作ることに成功した。
  今またギターの音は変わろうとしているようだ。それは音楽の存在が、生からCDなどのメディアを介するスタイルになってきたことと無関係ではないだろう。レコードやCDが出る前までは音楽の場は「生」しかなかった。だからレコードがまだ少なかった時代はコンサートを聴いてはじめて「本当はこんな音がするのか!」という感激や確認があった。ところが今は順番が逆になってしまって、CDの方が基準になってしまった。だから「CDと違うじゃないか!」ということになってしまうわけだ。
  文化は正しさによって存在するわけではない。が、その理屈はどう考えたって言いがかりでしかない。しかし今はそれがまかり通 る時代である。
 そんな時代にあって、注意深く聴いていると、最近のギターの音そのものがCD化しているのに気づく。生の音楽の表現のはんいはCDのそれとくらべものにならない広さである。すなわちCD化とは表現の幅を狭くすることに他ならない。豊かな音楽を希うのが本来だとすれば、この変化は聞きのがすわけにはいかない。この事実を言いつづけていくのはアコースティクで育った我々の世代の役目だと思う。


No.47 「宿題(その1)」
 
菅原明朗。作曲家である。1897年に生まれ、1988年91歳帰天。僕にとって大事な恩師である。先生との最初の出会いはとても衝撃的だった。僕は二十歳を超えたばかり。何でもわかっている気でいた生意気盛り。先生はすでに大家(僕とは56年の開きがある)であり、さすがに覚悟して会いに出かけた。用事はすぐ済んで、音楽の話になったが、その内容にまったくついていけなかったのはいまでもとても印象に残っている。先生は音楽用語は全てイタリア語、ラテン語、フランス語であり、訳語を使われないのだ。訳語には間違いが多くて使えない、といわれる先生のスタンスは後日きくことになるのだけれど、その時はそんなことを知る由もなく、ただただあっけにとられて帰ってきたのを覚えている。  
こんなにも判らないというのは「何かある」というのがその時感じたことだった。それまでやっていた勉強法とは全然違うアプローチがある、という気が強くした。そしてそれが正しいとも感じだ。その日から、機会を作っては先生宅に上がり込んで話をきいていた。話がそこそこ解るようになるまで、1年以上はかかったろうか。内容が解らなくても入れ込んでいたのは先生の音楽に対する情熱と、純粋さに強烈に惹かれたからだ。  先生の助言もあって、その後僕が7年半ほど日本を離れた時間をのぞいて先生が亡くなられる時まで、ずっと話をうかがうことができた。先生の話は音楽、美術、歴史、文学など広範に亘り、尽きることがなかった。どんな内容の話にも、音楽への愛情があふれ、こんな音楽生活ができたら素晴らしい。といつも憧れていた。
 教えは弟子達の記憶のなかに、また格調のたかい文章としてたくさんの書物の上にのこされた。それらの中には僕にとって生涯の宿題となったものもある。  「音楽との接し方は全面的に奉仕するという態度しかないんです」機会あるごとに聞かされて、今も自分の中でなんどもくり返し考えている先生の言葉のひとつである。


No.48 「ギャップ」
 ギターの研究を続けていられるのはひとえにギャップがあるからである。理想と実際の演奏との間にあるギャップ。あこがれる演奏家と自分とのギャップ。や っていると思っていることと、現実の行為の間にあるギャップなどである。
 ギャップはふつう否定的に使われる言葉だけれど、じつはエネルギーの元であると言う事実を忘れてはならない。
 もしギャップが無くなったら(とりも直さず、この状態は問題がないということだから)、僕は練習などせずに、昼寝をして過ごすことだろう。
 さてギャップはどこで発生するのだろう。
 自分にとっての新曲にはギャップはない。
 まずは指が乗るというところまでは、その曲に慣れるという作業で精一杯なのでギャップは起こりえない。無意識で弾けるというところまで持って行くためにはそれこそ曲によっては100の単位 を超える弾き込みの回数が必要となるが、この回数をこなして曲が手に入ってくると(ここまでの段階を稽古という)気づきは一気に増えてギャップが発現してくる。
 指使いの都合によって力んで出てしまう間違った位置のアクセント。左の移動による時間のずれなど、たちまち起きる基本的な問題から、各曲特有の問題がつぎつぎに気になってくるのだ。本格的に練習(ここからを本当の意味で練習という)が面 白くなってくるのは、この辺りからだ。
 ギャップがあると観察力もアップしてくる。たとえば誰かの演奏が気に入ったとしよう。ギャップがないと、そこで「巧かった」で終わってしまうだけれど、ギャップがあれば、どこがどのように弾いているから巧かったというところまで詰められる。この差は大きい。
 ギャップを埋めて行くのは、日々の精進でしかない。それも楽しい精進で。

No.49 「看 板」 

 僕の看板はギタリストである。名刺には書かないけれど、そう自覚している。ギターに魅せられ、それをはじめた当初の気持ちは
何といっても「うまく弾けるようになりたい」だった。それが高じてコンサートをやるというところまできた。いまはその「コンサートができる」(独りで一晩弾ける)というのが自分で決めた「ギタリスト」の条件である。
 アンサンブルは嫌いではないので、チャンスがある
たびにやっているけれど、ギターはやっぱり独奏楽器という認識が僕にはあ
る。ギターの音はアンサンブルの時よりもソロのほうが
然デリケートな表現を使うことができるからだ。機会ある毎に言ってい
るが、ギターの命はその豊かな色彩と
美しい音質にこそあり、独りで弾くというスタイル以上にそれを生かしきれる形はない。

 独りで舞台に立つという行為は、自分以外なにものもたよりになるものがなくなる、というとてもはっきりした状況になる。逃
げ道がなくなり、集中した質の高い勉強が要求される。2時間近くを弾き切るというのは、なかなか大変なことで、ぼんやりと練
習を重ねていればできるというものではない。
 何ヶ月(何年)も前からいろいろと都合(音楽の研究、身体コンディションの調整など)をつけて、コンサートまで持っていく
わけだ。いつも苦労が多くて、なんどもくじけそうになりながらも、コンサートがやっていられるのは、そこまでのプロセスが苦
労を含めて面白いからだ。そしてそこで得られるものは他の音楽生活からはとても得ることができない質のものであることにもよ
るだろう。
 きついところもあるけれど、当分はこの「ギタリスト」という看板を出し続けていこうと思うのは、コンサートをやっている限
りは進歩するチャンスがあるような気がしているからだ。


No.50 「ギターという花」
 ギターという楽器はどうしても注意が指先にいってしまうものだ。僕はレッスンの時に足からみていくことにしていて、下半身に力が入っている人にはタッチのことを言うのを控えるようにしている。言っても通 じないからだ。まずは「全身」というアイディアを持ってもらうのが先だが、力が入っている人は「頑固」で受け入れを拒むのも確かである。
 しかし身体をローカルで扱っているうちは音は磨けない。
 これは理論的に確かな裏づけがあるわけではないけれど、経験値としては100%真理である。この力んだ状態ではどんなに素晴らしい(ソルをはじめビラ=ロボスにいたるまで)エチュードも紙切れ以下で、いかに学習しても単に弾いたという充実感(「疲労」と言い換えてもいい)が残るだけで、なんの効果 もないのだ。
 同じような関係がギターと生活に言える。ギターは美しい花である。楽器はもちろん、その扱いにしても、音楽にしてもすべて人工なのだけれど、ギターで奏でられる音楽は自然のものと見まがうほどの美しさがある。なにもかも人間がつくっているのだけれど、最終的にはそのすべてに人間が思うように手が出せない自然の「花」のようである。
 花を咲かせているのが、生活という土壌である。ギターと共にすごす時間はプロであれば生活≒ギターであるが、アマチュアにとってはそれほど長い時間ではないのが普通 だろう。しかし花を咲かせるための土壌が生活すべてであることにはかわりない。  ギターに関わっている時間(練習の時間)だけがギターの音をつくっているわけではないのだ。からだのコンディションづくり。他の音楽の鑑賞。美術や文学他に興味のあることに対する研究など、あらゆることが音に現われてくる。
 花は木によって色形は違う。競べさえしなければその美はもうかけがえがないものなのだ。